旧友が、母親と共におじいちゃんを介護してきました。

親同然に育ててくれた祖父だから少しでも良くなってほしいのだと切実に願い、手探りながら懸命に力を尽くしている様子がメールからひしひしと伝わってきます。微力ながら力になれればとメールや電話で相談に乗っていたところ、なんと入院先の担当医の先生が市立病院にわざわざお電話を下さり、シチコリンの点滴を行えるようになりました。(先生の柔軟さとフットワークの軽さに心から感謝!)点滴で意識が良くなったよ、今日は「こんにちは」と言ってくれたの…という彼女の喜びを、メール越しに共有させてもらっていました。

しかしある日、病室で祖父に蜂蜜をなめさせていたのが看護師さんにわかり、飲ませたり食べさせたりはやめさせて下さいと強く咎められてしまったようです。スポンジに含ませてほんの少し舌の上に乗せたり、かき餅のかけらをほんの少し口に入れたりしたようですが。医療スタッフの許可なくやったから問題なのか?もし事前に許可を求めていたら、OKが出ていたのか?それはわかりませんが。

「あやかちゃんの病院も胃瘻した人って、なにも味覚の楽しみはないものなの?吸引の辛さとか、味を楽しむ喜びとかなくなってしまうと人間、特に年老いた人は何を幸せに生きたらいいんだろう。」

彼女のメッセージを読んで、胸が締め付けられるような気持ちになりました。

「胃瘻を造ったからって、口から食べちゃ駄目だって思いこんでいる医療者もいるけれど、決してそんなことはないんだよ。口から食べたことで少し誤嚥性肺炎のリスクは上がるかもしれないけれど、本人や家族がそれを承知の上で食べる楽しさを味わいたい、味わわせてあげたいといういう気持ちを持っているなら、それは一つの選択だと思う。まずは主治医の先生に、ご家族の気持ちを伝えてみたらどうかな。」

と答えるのが精一杯。離れた所にいる自分の無力さが悲しかったのを覚えています。

先日から病棟に、‘経口摂取への挑戦’をしている患者さんがいます。脳梗塞を起こしてリハビリ病院に移り、その後ここでは書けない紆余曲折を経て、当院に入院となりました。現在鼻から胃管というチューブが入ってそこから補助的に栄養が入っているのですが、この管が何とか抜けないか、という試みです。ご家族も必死。ST(言語療法士)の本多さんは頼りになる存在ですが、私も本多さん任せではダメだと、改めて勉強をし直しました。(後日ここで良い報告ができるのを楽しみにしています)

食べることは生きること

勉強のつもりで読んだのに、改めて友人の当時の切ない気持ちが思い出され、涙が出ました。2冊の本のどちらも共通して、強烈な一つのメッセージを発していたから。それは「食べることは生きること」

「一口食べられること」と「一口も食べられないこと」が、本人や家族にとってどれだけ大きな違いがあるか。一口であっても暮らしの中に「食事がある」ことの価値を、決して軽んじてはいけないというメッセージがそこにはありました。

 「一度胃瘻になったら、口から食べる状態は戻れない」「胃瘻の人は一口も食べてはいけない」これは一般の人のみならず、医療関係者でさえも抱きやすい誤解です。いや、医療関係者の方が強くそう思い込んでいるのではないか、と思う節も。

私も

「○○さん、胃瘻から栄養入っているんですけれど、家族がヨーグルト食べさせてるんですけれど!」

とさも「とんでもないものを見つけた」という雰囲気でスタッフから報告を受けた経験があります。誤嚥予防のためにわざわざ胃瘻を造ったのに関わらず「安全を徹底しない危険な行為」「非合理的な行動」のように見えるのだと思います。(でもその場で一方的に禁止しないで主治医に確認してくれるだけよいのですが。)確かに事前に相談を受けていた方が、何かあった時にすぐに対処する準備態勢を整えやすいということはあります。主治医として改めて‘許可’すると、憮然とした表情に「なんとまぁ物好きな…」というメッセージが浮かんでいるように見えるのは考え過ぎかな。

少しでも口から食べることで、口腔内の自浄作用を保つことが出来るとか、食道の廃用性萎縮から胃食道逆流を起こすことが予防できる、などの医学的メリットも挙げれば医療スタッフへの説得力は増すかもしれない。だがそれ以上に「本人や家族にとって喜びが増す」というメリットもあるのですが、その価値を正当に評価できる人と過小評価してしまう人にわかれるかもしれません。でも自分だったら、このメリットははかりしれないほど大きいんだけれどな…。(私、食いしん坊です。)

野原先生が介入した例では、経口摂取を禁じられていた胃瘻患者さんを評価したところ、本当に誤嚥のリスクが著しく高くて一口も食べられなかった症例はわずか11%だったそうです。逆に残りの9割の方は、工夫や制限を加えれば食べることをわずかながら楽しめる可能性があるにも関わらず、「一生食べる楽しみを禁じられた」レールに乗せられてしまっていると言うことになります。よくあるパターンが、急性期に嚥下障害があるからと胃瘻を造られて、リハビリ病院、療養型などと医療機関をまたいでいるうちに、何で胃瘻になったのかの経緯がわからなくなり、経口摂取の可能性を再考されることなく絶食胃瘻が続いているという状態だとか。これが医療者の怠慢でなくて何なのか。私は、自分自身の無知を恥じています。これまでの私、食べたいという本人や家族に受動的に許可をしてきましたが、既に胃瘻で禁食になっている方に対しては、積極的に食べられる方向には働きかけてはいませんでした。

これからは、胃瘻が入っているにしろ入ってないにしろ、誤嚥性肺炎で入院した患者さんを、熱が下がりましたから退院しましょうでは返しません。今回は何で誤嚥したんだろう?どこがいけなかったんだろう?どこを改善すれば、もう少し安全に食べることを楽しめるだろう?今は口から食べていないけれど、本当に食べられないの?という目で患者さんを見て、少しでも食べられる状態になって帰ってもらえるように全力を尽くします。それが、今は亡き友人のおじいさんへの供養になると信じて。