認知症の診療をすればするほど、診察室での診療の可能性と同時に‘限界’も見えてきます。薬を使って症状緩和ができても、それだけで「生きててよかった」にはならない。
「もう何の役にも立たんし、迷惑かけんうちに早くお迎えがくれば…。」
なんて診察室でため息をつかれてしまうと、こちらもとても切ない。生への執着が乏しければ、ちょっとしたことでガクンと活動性が落ちてしまい、医療的にも大問題です。どうすればいいんだろう?とずっと考えてきました。
 今年の3月の記事に「お互いさまプロジェクト」という内容でボランティアをポイント制にしてはどうかと書きました。あれはあれで自分なりに一生懸命考えた結果ですが、あれはどちらかと言うと若くて元気な方が高齢の援助が必要な方をサポートするという仕組み。介護サービスを民間の力で、というイメージです。
でも仮にそれがうまく回って‘かゆい所に手が届く介護’がなされたとしても、お年寄りが生きがいを持てるかというと…。人は、何かをしてもらっても「よっしゃ!」とはならない。力が湧いてくるのは、自分は人の役に立っている、人から必要とされている存在だと思える時、なんです。浮かび上がってきたキーワードは、‘自己貢献感’でした。
 言葉もろくに話せないうちの1歳児も、洗濯物をはいっと渡してくれるので「ありがとう~。」と言うと表情がパッと明るくなり、何度も同じことをしようとしてくれます。3歳と5歳の坊主に至っては、「助かる~!!」と喜ぶと、重い物を持つのも風呂掃除だって、競うようにやってくれます。人の役に立つって、人間の根本的な喜びなんだな、と実感。

 私の外来に通う70歳台後半の男性Aさんは、脳出血の後遺症で片麻痺がある男性です。状態は落ち着いていて生活も自立していますが、外来ではどこか浮かない表情でした。
「水を食事が口の端からこぼれるんだ。一緒に住む孫が『じいちゃん、赤ちゃんみたい!』って言うんだよ。」
と言うので、Aさんの自尊心が保てていないのかな、と少し胸を痛めていました。
「Aさん、今の楽しみとかって何ですか?やりたいことでもいいんですけれど。」
と尋ねたところ
「前は野球をやってたけど、マヒしてからは出来なくなっちゃったからな。後は、蘭を作ってたんだ。結構作るのがうまくって、教えてくれなんて言われてたんだぞ。」
「今は蘭は作らないんですか?」
「鉢を植え替えたりっていう作業が、マヒしている手じゃ難しいんだよ。」
蘭の話をしているAさんの顔は、いつもより明るい表情に見えました。勿体ないな、と思いました。Aさんには立派な蘭を育てる知識やノウハウがあります。もし手足が自由に動いて蘭の栽培をしたい!という人とAさんが出会えば、双方が幸せを感じられる関係ができあがる可能性があるな…そんな風に思っていました。
 そんな時に出会った本が、この本。
「見守り活動」から「見守られ活動」へ (酒井保 著)

見守られ
・「支え合い」とか言っているけれど、福祉で言う支え合いって一方的に「支える」だけである。まだ出来ることがあるにも関わらず、「あなたは支えられる側」と決めつけるのはおかしい。(助けが必要な人の支援マップを作っても、そこに載せられている本人がそこに載せられていることを知らないことがほとんど。それ、作って何に使うの?)
・私たちは「助けたい!」というニーズを持っている。(見守りたいけど、見守られたくないが多くの人の本音。)60%の人間が2人いても、強みと弱みは違う。お互いの出来ることと出来ないことを交換すれば、本物の支え合いになる。

こんな考え方に基づき、自分のできることを書き込む‘住民歴書’と地域とのつながりを書き込む‘エゴマップ’を提唱しています。
 30分くらいでさくっと読めてしまうような薄い本なのですが、本当に魅力的な内容です。これまでの私の頭の中のモヤモヤした霧がスーッと晴れるような爽快感もあり。医療介護やボランティアを積極的にやっている人こそ読んだ方がいいな、と思いました。(私はやってあげる側でやってもらう側じゃない!って思ってしまいがちなので。)人の為と書いて「偽」とか、これまでの福祉をバサッと斬るような本音トークがまたツボにはまります。
 新クリニックをプラットフォームにして、地域の方と手探りで進めていったら面白いな、と思います。笠間市の皆さん、一緒にやってあげてもいいよ~という人はぜひ!お声をおかけ下さい。まだ何にも決まっていませんが。