遠くで応援して下さるある方から、足元以外の遠方にいる自分にも情報発信をしてほしい…というありがたいお声を頂いたので、内覧会のご案内に載せた文章をアップさせて頂きます。

『祖母のまなざし』

「先日とある講演会で、子供が大きくなり成績が気になる年齢になると、ついつい成果承認(〇〇できたからすごいね)をしてしまいがちだが、その前にまず存在承認(いてくれてありがとう)がしっかりされていなくてはダメですよ、というお話がありました。存在承認をとばして成果承認をしてしまうと、頑張らなくては自分は価値がない存在なんだ、と感じさせてしまうと言うのです。
この話を聞いて、小学2年生の夏に北海道の祖母を訪ねた時のことを思い出しました。久しぶりに会った祖母が、あまりにも目を細めて喜び、そして可愛がってくれるので、変な話ですが私は次第に怖くなってしまったのです。祖母は、私の本当の姿を知らないのではないか。私がしてきたあんな悪いこと、こんな悪いことも知らず、私をいい子だと信じているからこんなに可愛がってくれるのではないか…と。小学校1年生の‘悪いこと’ですから、お姉ちゃんの消しゴムを黙って使ってしまったとか駅前で買い食いをしたとか、たわいもないことですが、当時の自分には結構な大罪でした。
いてもたってもいられず、2人で墓の草むしりをしている時に、尋ねてみたのです。
「ねぇ、おばあちゃんは私を可愛がってくれるけれど、もし私が悪い子だったらどうするの?嫌いになる?」
私のとっぴな質問に驚いた様子も見せず、祖母はこんな風に答えてくれました。
「そうねぇ、もし綾ちゃんが悪いことをしたら、ここを直せばもっといい子になるな~とは思うけれど。いい子でも悪い子でも、大切だと思う気持ちには変わりがないんだよ。」
後になって、祖母が誰かにあやかにこんなことを言われた、あの子は大した子だと話しているのが聞こえて恥ずかしかったのですが。心から安堵して、その日はゆっくり眠れたのを覚えています。
当時の私の問いかけは、まさしく存在承認そのものです。小学1年の幼い子供でもこの2つを明確に区別していることに驚くと共に、今は亡き祖母の深い愛情に感謝です。

これは小さな子供ばかりではないように思います。日々認知症の方やご家族と外来で接していると、なんだかやるせないな、と思うことがあります。
「母は、どんどん出来ないことが増えています。あれも出来なくなったし、昨日なんて…。」
限られた診察時間内にわかりやすく問題点を挙げないといけないのですからやむを得ないのですが、あまりにも出来ないことばかり列挙されるうちに、最初は「変わりはありません。」と笑顔だったご本人が、申し訳なさそうな、寂しそうな表情を見せ、なんだか小さく見えてしまうことがあるのです。娘さんは本当に本当にお母さんを大切に想っている。だからこそ、もっとよくなってほしいのに。

もう少しご本人の笑顔を奪わない状況確認の方法を考えなくては、と思っているところです。年を重ねると、自然とできないことが増えていくのは自然の道理です。成長期の子供以上に存在承認が必要なのは、高齢の方なのかもしれません。「少しでもよくなって」という期待と、「生きていてくれてありがとう」のバランス。難しいけれど大切なことだと思います。

蘭