コウノメソッドと出会ってからの私は、次々と向かってくる大きな波(嵐?)に乗せられ、気が付けば当初は想像もできなかった場所に向かっているようでした。出会ったことがない人々、見たことがない世界。認知症診療1年生の自分が新聞やテレビで紹介されるなど、分不相応な評価を受ける中で、本当に自分でいいんだろうかという恐れも感じていました。目の前の患者さんと家族に誠実に向き合い、泥臭く四苦八苦することで、漠然とした不安を払拭して精神的なバランスを取ろうとしているのかもしれません。日々の診療は忙しさに拍車がかかったものの、淡々と過ぎていきました。
そんな時のことです。なんと3人目の新しい命を授かっていることが判明したのです。新たな家族を迎える喜びと、これから公私共にさらに忙しくなるぞ~という覚悟。外来患者さんは、病院に赴任した時の倍以上に増えており、もの忘れ外来の新規予約枠は4か月待ちになっていました。予約外来の最後尾は産休期間中に突入していました。研修日を返上してもの忘れ外来の診療にあたり、何とか産休に入る前に診察を終えようと奮闘。当直もぎりぎりの人数で回している体勢のため、簡単に抜けますとは言えませんでした。目の前の仕事をこなすことに精一杯で、数年後の長期的展望について考える気力もありませんでした。
H26年6月、転機は思ってもみない形でやってきました。本来の産休期間まであと数週間もあると言うのに、ある夜、突然の腹痛と吐き気に襲われ、産婦人科を受診。そのまま緊急入院を勧められたのです。
「私、まだやり残した仕事があるんですけれど・・・」
「先日あなたと同じ状態で緊急受診した妊婦さんは、どうしても入院できないって頑張った挙句、今日大学病院に搬送になりました。彼女は泣いていましたよ。」
同業者として責任の重さはわかって下さっているはずの主治医の、とどめの一言。

これまでどう贔屓目に見ても自分の体を大切にしてきたとは言えない私。自分を労ることは赤ん坊を守ることなのだと遅ればせながら認識した私には、入院する以外の選択肢を選ぶことはできませんでした。予約を待っている患者さんや職場の同僚への申し訳なさに苦い思いを抱えつつ、入院することに。(私の突然の穴を一生懸命埋めて下さった市立病院の先生方、本当にありがとうございました)
たった一日で、生活ががらりと変わりました。朝から晩まで昼食も摂らずにバタバタ動き回っていた生活から、朝夕の検温と診察以外はず~っと横になって寝ているのが仕事ともいえる生活へ。入院のきっかけとなった腹痛と吐き気が点滴によって落ち着くと、ポカーンと何にもすることのない時間が。普段はほとんど見ないため新鮮だったテレビのワイドショーも、数日であっという間に飽きてしまい、いよいよやることがありません。
ただひたすら‘思索する時間’が始まりました。自分は医者としてこれからどこに向かっていけばいいんだろう?いやそれ以前に、自分はそもそもどんなことが好きで、どんな時に幸せを感じるんだっけ?そして、過去の自分の体験や感情をつなぎあわせていった結果、その延長上には患者さんや家族の方をもっと近いところで支えられる‘町医者’(開業医)というキーワードが浮かんできたのです。河野先生が常々「認知症診療は開業医の出番」とおっしゃっていたのを思い出しました。開業医としてどこまで認知症診療を展開できるか、試してみたい。尊敬する先輩ドクターの中にも松嶋先生のように開業されて自由に活躍されている先生方がいた影響もありました。よ~し退院したら、開業医になる道を模索してみよう。どんなクリニックがいいかな…一転して病床で夢を膨らませるのでした。危ない目に遭わせてしまった娘に心からごめんねという気持ちと、そしてあなたが背中を押してくれたお陰で新しい道を見つけたよという感謝の気持ち。そんな気持ちに見守られて生まれてきてくれた愛しい末っ子娘は、お調子者で気が強くて。なんだか自分によく似ている気がします。

娘