笠間市立病院に勤務時に、実習に来たある男子学生さんが、栄養科で見せられたムース食を見てぽつり。
「なんか、そそられないですね。」
君、それ言っちゃう?!
あまりにも率直な感想は、私の中で時を経るごとにじわじわと効いてきました。実は私も、同じように感じていたのです。でも、それしか口にできない人がいるのだからそんな風に思ってはいけないと、無意識にブロックをして何も感じないようにしていた気がします。その学生さんは私と違い、自分が食べるんだったら…と自分ごととして受け止めたのです。患者と医者という立場上の違いを口実に線引きをした私と、しなかった彼。彼の方が誠実でした。まずは自分ごととして受け止めなくては何も変わりませんから。
そして最近、特養(特別養護老人ホーム)に入所されている女性の認知症患者さんのお話。これまではソフト食が提供されていたのが、スタッフ間の話し合いを経てペースト食に変更されたのだそう。嚥下リハビリなどはどうも行われていないようなのです。娘さんが「ほら、お魚だよ。」とスプーンを口に運ぼうとしても「これは、魚ではありません。あなたは嘘つきです。」と言って食べようとしない。‘そそられない’ 見た目だったのでしょう。ところが娘さんと外出先で回転ずし店に入り、そっと好物のあなごを出してみたら、なんと食べられたのだそう!いつもペースト食を提供されている人が、刻んだかつおの刺身も、銀シャリも食べたのです。これってどういうこと?
「食べる」という行為の奥深さを感じると共に、もう少し何とかならないかな~と現状にもやもや。
現状への疑問は、次に見たい世界へと自分を導いてくれます。この地域の方が最後まで自分の口で食べることを楽しめるようサポートする‘食医’ を目指そう。どんな風にステップを進めていくか、今一生懸命考えています。心強い仲間がたくさんいるので、きっとうまくいくと思います。
温かい雰囲気の食堂で、子供もお母さんもおじいちゃんも、元気な人も病気の人も、みんな笑顔で一つのテーブルを囲んでおいしい食事をするシーンを思いうかべて。
病院を含め、施設での食事形態は『石橋をたたいて渡る食』ですよね。
窒息したら・・・・、肺炎を起こしたら・・・・誰が責任をとるんですか?という暗黙の空気が常に流れています。言語聴覚士の指示のもと、嚥下機能が低下したら刻み食やペースト食になるのは仕方がないこと、常識的なこと、とも思っていました。
現在は在宅系の施設で働いているのですが、公的施設ではペースト食になってもおかしくない方が普通食(一口大ぐらい)を食べて過ごしているのを見てると今まで見てきたことはなんだったのだろうと疑問に思うことがあります。
誤嚥は起こしているのですが(たぶん)、抵抗力が強いのか、おいしく食べれるという気持ちが免疫力をあげているのか、肺炎になる方はいないのが現状です。全員がそうとは言いませんが、以外と固形物が食べれてしまう方もいるんですね。
ただ、人手不足の環境で安パイをとってしまうのはわかる話です。いざ吸引が必要な状態になったら誰が対応するの?といった問題もあるでしょう。家族からの訴訟を恐れる施設もあるでしょう。肺炎になって入院となったら稼働率が下がってしまうといった理由もあるでしょうね。
好きな物食べたいなら在宅しかない、というのが常態化しそうな世の流れです。
未来さん、コメントをありがとうございます。そうか、石橋をたたいて渡っていたのか。(無関心なのかと思っていました)でも慎重に慎重を重ねて口からの食事を制限した結果、咀嚼・嚥下機能の廃用性萎縮を招いてもっと状態を悪くしているとすれば、悪い方にゆっくりゆっくり追い詰めてしまっているとも言えますよね。好きな物を食べたいから在宅。それが叶うのであればそのケース単体では幸福と言えますが、在宅を望んでも諸事情により叶わないというケースも非常に多いですから(うちに来ていて非常にもどかしい気持ちでいるご家族は沢山います)、施設であってもあたりまえの幸せは担保できるようにしたいですよね!