こんにちは。今日は診療が終わった夕方に、お隣りの福島県と東京から、大切なゲストが見えました。この出会いが、日本の未来に一石を投じる予感がします。

自分の中でふっとわいた疑問やちょっとした気づきを自分の中で温めて…温めて…温め過ぎた結果、忘れる。いつものことです。かっこつけて、もう少し一丁前に形を整えてから文章にまとめようと思った結果です。忘れる前に、未完成でもここに綴らせて頂くことにします。未熟な自分をさらした結果受ける評価は、甘んじて受けようと覚悟を決めました。私の今年の課題は、‘アウトプット’です。

今日はデイサービスへの参加を渋る方について。先日外来受診された87歳の方は、

「行きたくないんだから仕方ないね。本人が行きたくないのに行かせたら、かえって病気になっちまう。」

ときっぱりと拒否。息子さんが「温かくなったら行くか。」と言うとしまいには「うるさいな~!」と怒り口調。

本人が行きたがらないんだからしょうがない、とあきらめているご家族は少なからずいます。小さな子供ならともかく大の大人ですから、本人の意志は尊重したい。たとえ認知症があったとしても。その気持ちは非常によくわかります。でも全面賛成!とも言い切れないのには理由があります。

行く前はあんなに渋っていたのに、慣れるに従って楽しくなり、当初の渋り方は何だったの…というほどデイサービスを楽しみにしたり、本人の希望で回数を増やす方も少なからずいるからです。そういうことは、デイサービスに参加することで、明らかに元気になったりもします。もし100%本人の意志を‘尊重’して、あきらめていれば、そのような幸せな姿が見られなかったことは確実ですから、最初の本人の意向だけで是非を論じるのはどうなのかな、と思うのです。

お話好きな女性は、特にこの傾向が顕著な気がします。自宅に一人きりだった時には自分の体にばかり意識が向いて不定愁訴と嘆き口調だった方が、自分より介護度が高い利用者さんに囲まれた途端にかいがいしく世話をやいていきいきするシーンも。なので最初から本人が嫌がるからとさじを投げず、どうしても合わなかったら途中でやめちゃえばいいから、と最初の数回は無理に背中を押してお試しして頂くのは、案外「あり」かな、と。

上記のような世話好きに変身しそうな気配の方には、外来で

「〇〇さんのようなしっかりとした方には勿論物足りないかもしれませんが、ぜひボランティアだと思ってお手伝いに行って頂けませんか?職員さんも〇〇さんのような方が手伝って下さると本当に助かると思うんです。ボランティアをしている方の方が、認知症の発症率が低かったり、進行が抑えられるみたいですよ。」

とお願いしてみることも。ケアマネージャーさんにもそのようなスタートであることを家族を通じて伝えて頂き、うまく口裏を合わせてもらったりします。

近所の××さんが行っているから行ってみようと言って、それならと乗って下さる方がいる一方で、全然これまでの自分を知らないところの方がいいという方もいます。プライドが高い方は、もの忘れをしたり体が不自由になった姿を昔からの知人(ご近所さん)に見られたくない、という意識で嫌がっていることもあります。送迎の車があるけれど、会社の名前がバーンと書いてある車が目立つのが嫌だからわざわざ息子さんに送ってもらっている、そのため息子さんの都合で思うように回数が増やせないという患者さんもいます。そのような意味では、送迎者はごく普通の車であったり、会社名がマグネットシートで隠すという心配りも人によっては必要かもしれません。

本人がどんなところに不安や警戒心を抱いて「嫌だ」と意思表示しているのか、その感情に心を配ることは、マニュアルにはならない‘ナラティブ’な側面ですね。