今日の外来では、少し寂しい‘卒業’がありました。

認知症にて前勤務先からずっとお付き合いがあった患者さんが、病状変化と共に通院を中断することとなったのです。

レビー小体型・ピック病の複合型の70歳台後半の女性で、通院を開始した当初は易怒などの陽性症状が最大の課題で、精神科入院を勧められるほどエネルギーが強い方でした。市立病院の診察室でも私に、「あんた!何がおかしいのよ!患者を軽蔑してるの!!」と食ってかかり、付添いの娘さんの手をつねっては「痛いって言ってくれなきゃ、つねった甲斐がないじゃない!」と毒づく始末。介護施設の利用を続けられるくらいの穏やかさと、薬の副作用である体幹傾斜。ぎりぎりバランスをとれるところを探し薬剤調整を重ねること3年。誤嚥性肺炎で入院したり、歩行がよくなったと思ったら転んで大腿骨骨折をしたりと色々なことがありました。

最近は、歩行は難しくなり車椅子で、頚は大きく後屈しています。食事は何とか摂っているものの、栄養状態を示すアルブミン値は低く体全体がむくんでいます。頻回に誤嚥と思わせる発熱を繰り返すようになりました。盛大に悪態をついていてくれた頃が懐かしい・・・と思わせる活気のなさ。

娘さんが「通院するのも大変になってきて、薬を飲むのも大変になってきました。そろそろ嘱託医の先生にお願いしようかと・・・」と言い出して下さいました。娘さんの恐縮する様子にかえって申し訳ない気持ちになり、嘱託医の先生にしっかり必要な情報をお渡しすることをお約束し、ご本人の手を握ってひとまず‘お別れ’をしました。

年単位でお付き合いがあった患者さんやご家族とのお別れは、個人的に寂しい感情がない訳ではありません。それと同時にその方の人生という文脈で考えた場合に、つくづく「賢明なご家族だな。」とも感じるのです。どこまでが医療の積極的介入を必要とし、どこから先は基本的なケアや見守りで対応するべきか。そんな、時には医療職でさえ(いや、医療職だからこそ?)難しい線引きを、自分なりの価値観で行うご家族の勇気と賢明さに、心から敬意を表します。もし近くにいる介護職員が何らかの助言をして下さっての行動ならば、その方にもありがとうと御礼を言いたい気持ちです。

どの専門職も、自分が持っている武器でしか戦えません。その方に精一杯関わろうとする時に、その武器を最大限活用しようとするのは自然なこと。プロとして武器を磨くのはよいことなのですが、はたして今この方は自分を必要としているのか・・・という前提論は抜け落ちてしまいがち。「そもそも自分は、今のこの方にとっていらないんじゃ?」という考えは専門職としては少し残念ですから。死を敗北と捉えて、善意であんなことも、こんなこともやってあげたらと思ってしまうのが医療職の性。でもそんなつまらない自尊心を越えて、その方の人生を俯瞰して身を引くのが、成熟した専門職なのかな、と今は思います。

先日同じように‘卒業’された方のご家族は、認知症の家族会を組織されて活発に活動されており「これからも共に地域を支えるという形でつながっていきましょう。」と約束してお別れしました。いつも大切なことを教えて下さる患者さんとご家族に感謝します。